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家づくりの思い|関元工務店|香川県高松市家づくりの思い|関元工務店|香川県高松市

家づくりの思い

関元工務店と4代目の私たち

1910年創業、1971年会社設立

1910年頃から、曽祖父である関元栄次は宮大工として活躍していた。その後、祖父の関元実が何人かの大工を率いて設立した会社が関元工務店だ。関元親方率いる大工集団からはじまり、やがて時代を経て地域の工務店になり今がある。高度経済成長期には、注文住宅・地元ハウスメーカーの下請けで、業績をのばし、社員数も増えていった。

2代目の祖父は、孫から見てもとても厳格な印象だったが、引退後はいつも庭が見える窓際の座椅子に座って、水彩画を描いている様子を思い出す。絵が上手でいろんな色が盛られたパレットに筆をつけて、ささっと塗るのが面白くていつも横から覗いていた。
嬉しいことがあると、大勢の前でも歌を歌う様子もとても印象的で、自分の意志を貫く強さみたいなものが感じられた。戦争のことも多くは語らなかったが、時々口にし、その時代を駆け抜けた祖父、祖母はとても強い人だった。
週1回はそんな祖父の建てた家でご飯を食べて、そばにいたことをよく覚えている。将来は家でゆっくり絵を描く暮らしがしたいと思っているのは、その影響があるのかもしれない。

子どもの頃、父(現在の社長)に、昼でも夜でも新築の匂いのするがらんとした家に連れていかれ、何をするでもなく少しの時間歩き回っていた記憶がある。
今思えば、現場確認のためでもあったと思うが、出来た建物をお引渡し前に家族に見てほしかったのだ。今の自分たちも子どもに同じことをしている。

そんな家で生まれ育った私は、小さな頃から自然と建物に触れていた。
それでも、高校時代、自分の進路を決めるとき、建築関係の仕事もあまり頭になかったし、ましてや会社を継ぐなんてことを1ミリも考えていなかった。
目標も明確にはなかったので、1年目に色々な種類の芸術を経験して専攻先を選べることに魅力を感じ、大阪芸術大学短期大学部に入った。面白かったら大学に進もうかなと思っていた。絵をかいたり、陶芸をしたり、1年間色々なことを体験したが、結局「空間デザイン学科」を専攻し、後に短大のすぐ近くの地域密着型ハウスビルダーに就職して、結局この道かと落ち着いた。

しかしそこでたくさんの先輩方に設計の基本、建物づくりの基本を教わった。
設計課に建築士の先輩が4人。個性色々で面白かったし、今ではありえないかもしれないが、毎日毎日仕事ずくめ。日が変わるまで一緒に仕事をさせていただいた。

この頃でも、建築家といえば安藤忠雄、というくらいの小学生のような知識しか建築デザインに対してはなかった。見るのは好きだったので色々と見て回ったのだが、住宅ではなく美術館などの大きな建築ばかり見ていた。ただただ先輩に教わって葛藤はするものの、営業の意見に負けて、仕事をこなして...そんな日々だった。

1年後、同じ会社に今のパートナーで夫である能見が入社し、出会った。

関元工務店は、父の代から社長の仕事は大工というより監督業となる。
社長は私に会社を継いでほしいという気も特になく、引退したら閉業の道かな、と思っていたそうだ。

関西の会社に勤めて数年が過ぎた頃、会社を継ぐとは決めていなかったが、今の社長をとりあえず手伝ってみようかなと思いはじめていた。香川県を長年離れていて地域性や人脈にも不安があったので、すぐには戻らず地元の工務店や設計事務所にお世話になった。
関西にいるときにしていた設計の仕方や、要望・金額・重視する点が随分違っていることも分かり、また、ここにきて初めて設計事務所の仕事を見させていただいて、建築家の先生の図面や納まり、仕上がりに感動した。

関元工務店に入社、2015年自宅兼モデルハウスを建設

私が勉強してきたのは設計で、下請けの監督業をする工務店ではあまりその知識を活用する機会がなく、現場に入り大工さんや業者さんに教わりながら現場監督もした。したと言えるほどのものでもなく、周りに頼ってめちゃくちゃ怒られながら、頑張ってこなしていた。
そんなことをしながら感じたのは、大量生産の時代が終わり、一般的な家の在り方やモデルプランというものがなく、生活が多様化する時代がきて、ハウスメーカーの下請けを数多くこなすことや、施主や大工や監督が相談して家を建てることが時代に合っていないということ。
これからこの仕事を続けていくなら、自分たちが本当におすすめしたい家、住みたい家をご提案したいと思うようになった。

他の工務店に勤めていた夫も合流し、自宅を建設し、モデルハウスにすると決め、そのとき浮かんだのは伊礼智さんの設計。
夫の実家(兵庫県)に帰省するために車で走っていて、ふと横切った家が素敵で、2人であれって伊礼さんの家っぽくない?と気になって立ち寄った。(その地域の工務店さんのモデルハウスだったが入れてもらえた)
本を読んで以前から知っていたが、実際の建物は見たことがなかった。やっぱり伊礼さんの設計だったことにもテンションが上がったが、その空間に感動して2人とも無言で歩き回ってみたのを覚えている。
一気にファンになり、自分たちの住みたい家だと思った。

実は結婚したら出来ないことをしておきたくて関西の会社を離れた後、少しの間渡英した経験がある。イギリスの田舎の建物に惹かれ住んでみた。可愛らしいデザインが好きだと思っていたが、現地に住んでみて分かったことは、街並みが好きだということ。単純にその地域で手に入る素材を使っている。特に石は地域によって色がちがっていてそれを町全体で使うので地域によってカラーが違い、統一されている。
日本にデザインを持ち帰って真似してもダメだなと、日本には日本のその地域に合った素材を使うのが一番だなと感じた。
伊礼さんの家に魅力を感じたのは、そういう意識も強かったから。
「伊礼智の住宅設計」「伊礼智の小さな家70のレシピ」などの著書を読み込み、自分たちの自宅兼モデルハウスを建築した。

もっと勉強したいと感じて、「伊礼智の住宅デザイン学校」を知り参加した。
短時間で設計して、プレゼンするなんてしたことのないことばかりで、エントリーシートを送るとき、ドキドキして送信ボタンをなかなか押せなかった。
でもそこで伊礼さんだけではなく、たくさんの講師の方のお話を聞いて、実際に素晴らしい家々を見て、即日設計で訓練することでより良い設計がわかってくることを実感した。勉強なしでは、知識なしでは、到底わからなかった「良い家」の世界が広がった。また、一緒に参加した全国の優秀な工務店や設計事務所の方々と話すことで色々な知識を得たり、頑張っていこう、変えていこうという意識が持てたということも私にとって大きな変化だった。

このたび関元工務店のキャッチフレーズ「家がもっと好きになる」に加えて、「あたりまえが愛おしい暮らしを」を新たなメッセージとした。ご飯を食べること、ごろんと寝転がること、一息つくコーヒーを飲むこと。あたりまえの日々の何気ない時間が、私たちがつくる家でより心地よくなればいいなと。素朴で、ただ住む家族とその周りの大切な人にとって愛おしい家を。そんな想いを込めて、3代目4代目が力をあわせて理想の家づくりに取り組んでいる。

関元工務店4代目 関元 亜樹

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